PROFILE
イギリス・ベッドフォード出身。1996年より音楽レーベル、Mo’WaxにてA&Rを担当する。2005年にイギリスにおける事務弁護士資格を取得。その後、〈BAPE〉や〈Billionaire Boys Club〉のアドバイザーを経て、 2011年、スケートシング氏、菱山豊氏とともに〈C.E〉を設立。
ファッションディレクター、スタイリスト。英国の雑誌『モノクル(MONOCLE)』の創刊より制作に参画、ファッションページの基礎を構築した。2015年には同誌のファッションディレクターに就任。2012年から2018年秋まで雑誌『ポパイ』のファッションディレクターを務めた。
about 『シミュラークルとシミュレーション』
1981年、ジャン・ボードリヤールが発表した著作。事件、映画、テレビ、クローンといった当時の世相を縦横に論じつつ、実在(オリジナル)の消滅を予見した。映画『マトリックス』の原案に多大な影響を与えたと言われており、同作の監督ラナ・ウォシャウスキーが出演者に一読を指示した、という逸話も。
Chapter1
ボードリヤールが定義する「シミュラークル」とは?
フイナム:今回トークの下敷きにした『シミュラークルとシミュレーション』という作品は、フランスの哲学者、ジャン・ボードリヤールによる著作です。聞くところによると、この本が〈C.E〉の立ち上げにも影響しているそうで。
トビー:〈C.E〉のアイディアの一つに、当たり前の現実を客観的に見るとサイエンスフィクションみたいで面白い、という発想があったんですよね。(C.Eがスタートした)11年前は、Facebookがポピュラーになって、オンラインの世界とオフラインの世界が存在する、初めての時代だったと思うんですよ。
フイナム:11年前……2011年というと、Instagram前夜ですね。まだFacebookが主流の時代。
トビー:「トビー・フェルトウェルはこういう人間です」というオンライン上で作り上げられた別の人物が存在する、という感覚が当時は新しかったんですよね。今じゃ考えられないですが。
長谷川:そうですよね。
トビー:ポストモダンの哲学者は、そういう世界が訪れることを結構早くから気づいていて。それで、彼らの本を何冊も読んで、理解を深めていたんですよね。だから、『シミュラークルとシミュレーション』を読んだのもその頃だったと思います。
フイナム:そもそも有名な作品だったんですか?
トビー:そうですね。存在は前から知っていましたし、内容もなんとなく把握していました。あと、ボードリヤールは湾岸戦争の時にクォート(名言)を残してて、それも有名だったんですよね。
フイナム:それは、どんな内容なんですか?
トビー:テレビで映し出された戦争の映像は実在性に欠けている。戦争は本当に行われたのか?という内容です。
注釈:1991年、ボードリヤールは著作『湾岸戦争は起こらなかった(英題:The Gulf War Did Not Take Place)』を発表。テレビゲームになぞらえられた湾岸戦争の映像を現実味を欠いたコピーと断じ、この戦争はハイパーリアルに過ぎない、という持論を展開した。
長谷川:あー、なんか聞いたことあったかも。
トビー:うん。結構有名でした。
長谷川:僕も『シミュラークルとシミュレーション』を読んでみたんですけど、よく分からないんですよね。カタカナ英語がすごく入ってきてパニックになる。僕だけかもしれないですけど(笑)。
トビー:もしかしたら翻訳があまり良くないのかもしれませんね。僕もボードリヤールは訳本で読んでいたんだけど、フランス語から英語の翻訳だからニュアンスが近くて、楽しめる内容でした。
フイナム:僕も読んでみたんですが、その手の本に慣れていないせいか、とても難解でした。でも調べてみると、哲学書としては読みやすい、という触れ込みなんですね。
トビー:そう、アクセスしやすい。彼はポップな表現が得意なんだよね。だから人気があるんだと思います。
フイナム:この本では、一体どんなことが語られているのでしょうか?
トビー:現実世界におけるリアルな物やイベントの表現であるはずのシンボル(ボードリヤールは、そのシンボルを「シミュラークル」と定義)は、リアルな世界との関係が複雑すぎて現実世界との繋がりがなくなり、シミュラークルそのものの意味しか持たない、ということを言っています。
フイナム:シンボルのイメージが先行してしまうがゆえ、リアルと断絶されてしまう、と。先ほどの湾岸戦争の例で言うと、シューティングゲームのように中継される戦況の模様はリアリティを帯びていない。つまりシミュラークルだ、と言っているわけですね。
トビー:エクストリームな考え方ではありますけどね。でも、今まさにウクライナでも起こっていますよね。毎日ニュースが流れていますが、それぞれ情報が違うし、そこで語られるメッセージも少しづつ変わっている。そういう状況を今、体験していますよね。
長谷川:この戦争そのものが、色々な見方があるわけじゃないですか。そして、それとは別にシミュラークルも人それぞれにある。それが余計にこの戦争をややこしくしていますよね。
トビー:戦争の場合、政治的なことであったり、軍事的なことであったり、さまざまな事情がありますが、その戦争について意見を述べるには、まず戦争というイメージを作らないといけませんよね。それがもうシンボルになってしまうんですよ。そのシンボルが実際に起こっていることと、どのぐらい違いがあるのか?というのは分からないですよね。
長谷川:たしかに。
トビー:世界中が一つのイベントに集中している時に、このシミュラークル現象が起こるんだ、ということを最近考えていましたね。
デジタル空間にオリジナルは証明できるのか?
トビー:このボードリヤールの論考に影響を与えた人がいます。それが、ヴァルター・ベンヤミンというドイツの哲学者。ナチスからパリに追われて、ナチスがパリへ侵攻してきた時に自殺した人で、ポストモダニズムの先駆者と言われています。
フイナム:ベンヤミンはどんなことを言っているんですか?
トビー:機械を使って完璧なコピーを作れる時代に、アートの価値や意味、そしてオリジナルとは何か?を問いています。そこからさらに推論を進めて、本物が存在しなくなってしまう、というのがボードリヤールの論考です。最近このことを考えると、あることを思い出しました。口に出すのも嫌な3文字なんですけど……。
フイナム:?
トビー:(小声で)……NFT。
フイナム:笑
トビー:オリジナルもコピーもない。全部が同じ、というデジタル空間に、オリジナルを作るというのがNFTの発想ですよね。でも、そのコンセプト自体がダメですよね。
フイナム:ダメというのは?
トビー:オリジナル/コピーの問いは、テクノロジーで解決できる話ではないですよね。哲学者たちの間では、ずっと前からオリジナル/コピーの議論がされている。でもプログラマーを始めとするテック系の人たちは、コピーがオリジナルになる可能性はない、と信じ切っているんだよね。
フイナム:オリジナリティをデジタル空間に求めるこそがナンセンスだ、と。
トビー:うん。だってそうじゃないですか。皆、NFTのどこが面白いと思っているんでしょうか?
フイナム:ある人は「NFTの醍醐味は転売だ」って言い切っていましたが。
トビー:ん~。でもそれはNFTじゃなくてもいいですよね。
長谷川:まあ、昔からありますね。
トビー:そう、昔からある。現代アートも同じ構造ですよね。
フイナム:どこのギャラリーが誰々の作品をいくらで買った、という記録が蓄積されて、価値が上がっていく。
トビー:そう、よくある話。そう思うと、NFTは(既存の)アートビジネスからアートそのものをなくすための策略かもしれませんね
フイナム:ん、それはどういうことですか?
トビー:作家が作った実在するオブジェクトに価値が付く、というのが一番古いアイディアですよね。その作品をソフトウェアを使って作れば、作家もいらないし、需要より数が少ないから価値は上がるだけですよね。
長谷川:分かります。つまりアートのビジネス的側面だけを利用している、ということですよね。
トビー:そうですね。もう忘れましょう、NFTは。
長谷川:笑
トビー:でも、ポストモダンの時代からオリジナリティは存在しない、と散々言われているのに、現代の最先端の人がオリジナリティを探している、というのは興味深いですけどね。
長谷川:ある意味ロマンチストですよね。
トビー:うん。ロマンチストだと思う(笑)。
ディズニーランドは「おとぎの国」ではない?
トビー:最近Twitterで、Baudrillard's Americaというアカウントを見つけて。それはボードリヤールがアメリカについて残したコメントのbotなんですが、「ジョギングとは何なのか?」「ボディビルダーは馬鹿みたいだ」とか、80年代のアメリカのポップカルチャーにガッカリしている中年のフランスの不機嫌そうな哲学者、という感じで面白いんですよ。
The jogger has yet another solution.
— Baudrillard's America (@BaudrillardUSA) March 20, 2022
ボードリヤールがアメリカ社会をどんな眼差しで視ていたのかがわかるTwitterアカウント。アンチアメリカ的なスタンスの発言が並ぶ。
フイナム:へー。
トビー:そういえば、『シミュラークルとシミュレーション』でも、ディズニーランドについて触れていました。やや複雑な話なんですけど、ディズニーランドがファンタジーというのはイリュージョンで、実はそれこそが本当のアメリカだ、と。
フイナム:?
トビー:(ディズニーランドは)リアリティからファンタジーに入る、という設定ですよね。でもそれは逆だ、と。つまりシミュラークルの世界で生きている人々はディズニーランドにリアルを感じる、という説で。
注釈:ディズニーランドは、アメリカ的ライフスタイルの理想像を描いた虚構である。だがディズニーランドの外、つまりアメリカ社会にも虚構は存在する。かくしてディズニーランドの存在が、アメリカの矛盾に満ちた社会を覆い隠し、現実として再生する装置だ、と主張。
フイナム:うーん。難しい。
長谷川:僕、ディズニーランドがすごく好きだったんですよ。
トビー:何歳の頃に行きました?
長谷川:10歳ぐらいの頃です。それから中学生ぐらいまでは好きだったんですよね。今思うと、現実ではない世界に浸っていたい、という欲求があったのかもしれないですよね。子供の頃は特に。
トビー:そうですね。僕が初めて行ったのは13歳の頃でした。子供の頃から行きたかったんですけど、イギリスからだと、なかなか行けないですよね。ようやくファミリーホリデーで行こう!となったんだけど、すごくガッカリしましたね。
長谷川:えー、なんでですか?
トビー:13歳だったから。もうスケートボードも始めてましたし。
長谷川:子供っぽいなって?
トビー:そう。よく覚えているのは、サブマリンのアトラクション(海底2万マイル)があって。海の深いところを潜っている、という設定だったんだけど、窓を覗くとソフトドリンクのゴミが浮いてて……これはヒドイ!って。
長谷川:笑
トビー:そういう現実を見たくなかったんですよね。ファンタジーを壊すのはダメだろう!って。
長谷川:シミュラークルだけを見ていたい、というのはありますよね。
トビー:そうですね。もっと幼い頃だったら、楽しめたのかもしれませんね(笑)。