AKIO HASEGAWA. HOUYHNHNM

2022.2.10 Up
EXPERT CHATTING

vol.2 松任谷正隆

東京と服。その1
長谷川さんが近年親交を深めている、作編曲家、音楽プロデューサーの松任谷正隆さん。実はファッションをこよなく愛し、アメカジから最新のファッションまで今でも服に興味を持ち続ける人なのです。仙人のように達観していながら、少年のように貪欲な松任谷さん。その衰えない好奇心の源泉を探ります。

PROFILE

松任谷正隆

作編曲家、音楽プロデューサー。20歳の頃プロのスタジオプレイヤー活動を開始し、バンド“キャラメル・ママ”“ティン・パン・アレイ”を経て、数多くのセッションに参加。その後アレンジャー、プロデューサーとして多くのアーティストの作品に携わる。松任谷由実のコンサートをはじめ、様々なアーティストのイベントを演出。また、映画、舞台音楽も多数手掛ける。

長谷川昭雄

ファッションディレクター、スタイリスト。英国の雑誌『モノクル(MONOCLE)』の創刊より制作に参画、ファッションページの基礎を構築した。2015年には同誌のファッションディレクターに就任。2012年から2018年秋まで雑誌『ポパイ』のファッションディレクターを務めた。

Chapter1
ファッション今昔物語。

フイナム:松任谷さんと長谷川さんに交流があると伺ったとき、少し意外だなと思ったんです。

松任谷:いつだったか『ポパイ』がガラッと変わったときがあって。とにかくスタイルのある本になったんだよね。その頃から誰がやってるんだろう、って気になってて。

長谷川:そうだったんですね。ありがとうございます。

松任谷:それを見て、もう一回白い靴下とか履いてみようかなという気分になった(笑)。で、それからしばらくして『ウオモ』を見ていたら、こっちもなんか変わってて、ここでも長谷川くんがやっていて。これはぜひ会わないと、ということで初めて会ったのが最初かな。

長谷川:共通の知り合いがいて、繋げていただいたんですよね。でも、初めはなんのことを言ってるのかさっぱりわからなかったです。あの松任谷正隆が僕に会いたいってどういうことだって。ちょうど(松任谷)由実さんのレコードを買った次の日でした。

松任谷:すごく覚えていることがあって、長谷川くんってスタイルがあるじゃない。だからこういう風体の人じゃないと思ってたんだよね。

フイナム:どういった方を思い浮かべられてたんですか?

松任谷:ザ・青年、みたいな(笑)

長谷川:ヒゲがない、つるっとした人だと思ってたらしくて。そしたらすごいヒゲでびっくりしたという(笑)。

松任谷:まさかっていうね(笑)。面白いよね。あとタイミング的には『ポパイ』の初代ファッションディレクター、北村(勝彦)さんと会うようになった頃と重なるんです。

長谷川:そうなんですね。

松任谷:今と昔、っていう感じだよね。

1960年代のアメ横。

フイナム:松任谷さんは『ポパイ』に限らず、以前からファッション誌、カルチャー誌の類はよくご覧になっていたんですか?

松任谷:はい、うちの母がオシャレだったので。あとウチの祖父が造園業からゴルフ場制作に生業を移して、戦後は(横浜の)根岸とかにアメリカ軍のゴルフ場とかを作ってたんだよね。今はもう団地になっちゃったけど。そういうのがあったからアメリカ人とすごく仲良くて。だから生まれたときから、うちに40~50年代の『ヴォーグ』があった。

長谷川:へぇー、すごいですね。

松任谷:あと、おばあちゃんもアメ横が大好きで。だからなにか買うってなると、アメリカものだったんだよね。そういうところからスタートしてる。

長谷川:買ってたのは「ミウラ」とかですか?

松任谷:「ミウラ」みたいなオシャレなお店がないときから買ってたね。あとうちの母は電化製品が好きで。〈GE〉の丸い掃除機とか、〈パーフェクション〉のヒーターとか、かっこよかったんだよなぁ。

長谷川:そういうアメリカものは一通りあるようなエリアだったんですね。

松任谷:そうだね。アメ横に最低でも月一では行ってたんじゃないかな。最初はあんまり面白くないな、って思ってたんだけど、だんだん面白くなってきて。

長谷川:僕もよく親にアメ横に連れて行かれてたんですけど、魚を売ってるところとかそういうのばっかりでした。

松任谷:あぁ、そういうのも行ったよ。年末の買い出しにね(笑)。

長谷川:昔は他では、あんまりアメリカものはなかったんですかね。

松任谷:そうかもね。僕の世代でも、物心ついたときには〈ヴァン〉とか〈ジュン〉だったからね。〈ヴァン〉が〈ブルックス(ブラザーズ)〉のコピーだって知るのも随分後だし。けど〈ヴァン〉は中学のときから着てたかな。ボタンダウンシャツとかコットンパンツを買って。

ファッションディレクター、北村勝彦。

松任谷:で、今日はどういう話をすればいいんだっけ? 僕が長谷川くんの話を聞けばいいの?(笑)。

長谷川:『ポパイ』の延長でこのメディアをやってるようなところもあるので、ファッションビジュアルでもなんでも、アメリカものを取り上げることが比較的多いんです。テーマは同じようにアメリカなんですけど、ビジュアルだけじゃなくていろんな人と話をしていったらどうなるんだろう、と思って。

フイナム:長谷川さんの主義で「普通」がテーマになっています。なので、松任谷さんにとってのアメリカとかファッションにおける普通とか、そういうことをお伺いできればと思っています。

松任谷:なるほど。けど、長谷川くんがやってることはファッションじゃないよね。ファッションだとは俺は思ってない。なんていうのかな、考え方というかものの見方とか、そんな感じでずっと見てる。単に服とかそういうことじゃないなって。そういうところが北村さんと共通してるんだよね。

長谷川:あぁ、それは嬉しいですね。

松任谷:でもまだ会ってないでしょ?

長谷川:そうなんです。一度もお会いしたことがなくて。いまおいくつくらいなんでしたっけ?

松任谷:80歳にはなってないと思うんだけど、でもそれくらいかな。今でも現役でスタイリストをやっていて。

長谷川:そうですよね。

松任谷:アシスタントもつけないで、自分で借りに行ったりしてるみたい。北村さんのやり方も考え方によっちゃ、SDGsみたいなものだと思うけどね。当時からワークウェアとビジネスウェアを合わせちゃう、みたいな。この考え方は長谷川くんとも共通してる気がする。

長谷川:前に北村さんのスタイリングブックを古本で買ったことがあって。スウェットのセットアップにブレザーを合わせていたんです。そういうのにどこかで影響を受けていたのか、すごく共感できることがあって。だから不思議なんです。

松任谷:そういうスタイリングをやったのって、北村さんが最初だと思う。今でこそ普通だけどね。ビジネスウェアにダウンを着ちゃう、みたいなのも北村さんだったような気がするな。

長谷川:80年代に見たことがあります。それも北村さんなんですね。

松任谷:だからぜひ会わせたい。今はただの酔っ払いのおじいさんだけど(笑)。でも、この人から始まったんだと思うと、なかなか感慨深いものがあるよね。

長谷川:そうですね。御供(秀彦)さん*1とか、近藤(昌)さん*2も、北村さんのところにいらしたんですか?

*1 1980年代の『POPEYE』の一時代を築いた編集者、スタイリスト。当時、多くのスタイリストやメンズファッション関係者に影響を与えた存在。2015年に急逝。
*2 スタイリスト、ファッションディレクター。1978年「SHIPS」の立ち上げに参加し、『POPEYE』ではモデル兼スタイリストとして参画。企画制作会社「TOOLS」代表。@toolsjapan

松任谷:そうだね。みっちゃんも近藤も、二人とも北村さんのファンっていうか、弟子っていうか。なんだろうね、北村さんを慕ってた連中だね。

長谷川:御供さんには、生前道端とかでたまにお会いして。すごく面白い方でしたよね。

松任谷:そうだね。ファンキーだよね(笑)。

長谷川:よくマガジンハウスに酔っ払って来たりしてました。その頃はあんまりよくなかった時代の『ポパイ』で、そこに若い僕もいたりしたんですけど。「こんなポパイ、ダメだ!」って言って毎日のように現れて。でも僕はすごく可愛がっていただきました。御供さんのブックっていうのを見たことがあるんですけど、めちゃカッコよくて、オリジナリティに溢れてました。すごく勉強になりましたね。

松任谷:なるほどね。

長谷川:御供さんと松任谷さんはどれくらい歳が離れてるんですか?

松任谷:みっちゃんは近藤と同い年ぐらいだから、俺よりたぶん5歳下くらいかな。

長谷川:世代を超えて、いろんな方がいますね。

松任谷:そうだね。けどそうやって考えると、『ポパイ』って偉大な雑誌だったなって思う。いろんなものを取り込んでさ。

ブルース・ウェーバーの魅力とは。

長谷川:ファッションにおいて、松任谷さんは近藤さんとは切っても切れないような関係性なんですよね。

松任谷:まぁね。いろいろ教わったからね。途中すごく影響を受けたし。〈ラルフローレン〉も近藤が教えてくれたっていうか。「オイスター」っていう、今もあるお店に近藤が「シップス」から移ってきて。手持ちでネクタイなんかを買ってきたのかな。それが最初だと思う。

長谷川:先見の明がある方なんですね。

松任谷:でもちょっとボケてる(笑)。こないだ長谷川くんに話した〈トップサイダー〉の靴の件、あれの品番聞いたんだけど、わからないって言われた(笑)。

長谷川:ソールが厚いっていうやつですよね。〈ティンバーランド〉みたいな感じなんですか?

松任谷:形はそうだね。でも、もうちょい細長いのかな。かっこよかったんだよね。今履きたい。

長谷川:もうお手元にはないんですか?

松任谷:うん。3足は買ったんだけどね。。ソールもすぐに減っちゃった気がするな。当時はソール交換とかなかったから、減ったら終わりだったし。

長谷川:気になりますね、それ。

松任谷:今度、俺が持ってる70年代の『GQ』見せてあげる。そこにブルース・ウェーバーの写真のなかに出てくるから。

長谷川:70年代の『GQ』で、ブルース・ウェーバーが活躍してるんですね。

松任谷:うん。あれでブルース・ウェーバーを初めて知ったからね。ラギッドっていう言葉とか。

1979年に刊行された本書は、流行を追うのではなくあくまで自分に合った着こなしをしようという指南書。今読んでも全くもって古びていない。原書タイトルは『DRESSING RIGHT』。

長谷川:『男の着こなし』っていうタイトルの書籍あるじゃないですか。

松任谷:知らないなぁ。

長谷川:70年代か80年代の書籍で、メンズファッションについていろんなことを書いていて。その本に使われている写真を撮ってるのが、ブルース・ウェーバーとかハーブ・リッツとか、結構錚々たるメンバーなんです。写真の扱いは小さかったりするんですけど、写真もコーディネイトもかっこいいんです。元『GQ』の編集者が作った本だった気がします。

松任谷:へぇ。かっこいいよね、ブルース・ウェーバー。

長谷川:僕が最初にスタイリストのアシスタントを始めたときに、『ヴォーグ』とかいろいろ見た方がいいよって教わったんですけど、あんまりよくわからなくて。でも、ブルース・ウェーバーだけは見た瞬間にかっこいいなって思えたんですよね。

松任谷:そうだよね。他のは見る必要ないと思うよ(笑)。

長谷川:なんなんですかね、あの強烈な魅力は。。同性でも感じる、変な意味ではないセクシャリティみたいなところがいいんですかね、野性的というか。

松任谷:全然違うんだけど、アンセル・アダムスが撮る風景写真に共通するものを感じるんだよね。あとはジョージア・オキーフの絵とか、アルフレッド・スティーグリッツの写真とか。

長谷川:たしかに。自然体なんですかね。見た瞬間に「あ、これだな」っていうのを思いますよね。

松任谷:野生、とかそういうものかな。自然とか。そういうものが見える。

クリエイション、ものづくりの真髄。

長谷川:以前、ファッションと音楽は同じ、みたいなことを仰ってたじゃないですか。そういうのってアートとか食事とか全般に同じようなことが言えるんですかね。

松任谷:それは長谷川くんもよく知ってるでしょ。今さらそんなことを言わなくても(笑)。

長谷川:いやいや(笑)。

松任谷:けど、俺の場合でいうと、スタートはやっぱりみんなが着てたっていうこともあって〈ヴァン〉を着たんだけど、当時はフォークソング、カレッジフォークが流行ってて。そういう音楽をやるためにはアイビーっぽい格好じゃないとギターが似合わないっていうのがあって、どんどんそういう格好をするようになった。やっぱりカレッジフォークっていうのは、向こうの音楽だからね。

長谷川:はい。

松任谷:それからカントリーをやるようになったら、今度はボタンダウンシャツが全然似合わなくなって(笑)。それでウエスタンシャツ、ウエスタンブーツを探し回ったな。

長谷川:それで横須賀の、、

松任谷:そうそう横田、だったかな。あと「タイガー靴店」と「ミッキー靴店」っていうのがあったんだけど、タイガーの方がオーダーメイドをやってくれたんだよね。

長谷川:ミッキーは普通の仕入れだけだったんですね。やっぱりオーダーの方がよかったんですか?

松任谷:(ウエスタンブーツは)オーダーしか手に入れる方法がなかったんだよね。出来合いのものってなかったと思う。でも、オーダーで作ってくれるってすごいよね。そのときのことは克明に覚えてる。親父が座ってた椅子とか(笑)。

長谷川:そのブーツを履いているスタイルのときに由実さんに出会われるんですね。二人が全然違うファッションだったっていう。

松任谷:そうそう。情けないくらい違ってた。けど、自分がやってる音楽には合ってると思ってたんだよね。音とファッション(のリンク)っていうのは、その頃からあったのかなと思う。

長谷川:だんだん音の好みとファッションの好みが、時代とともに変わっていったんですね。

松任谷:そうだね。音はどんどん飽きられて新しいものになっていくからね。いつまでもウエスタンシャツを着ている感じでもなくなってくるよね(笑)。

長谷川:笑。こないだとあるファッション関係の方が仰っていたんですが、音楽っていろいろなクリエーションの世界のなかで、最も最先端なものなんじゃないかって。例えば配信ひとつとっても、映像だと今は「ネットフリックス」とかがありますど、それよりも前に「スポティファイ」なんかはあったわけで、音楽がなによりも最先端なんだって。

フイナム:その話、聞いたことあります。アナログからデジタルに移行したのも、雑誌より映画より何より音楽が一番早かった、みたいな。

松任谷:どうだろうね。その話はちょっとよくわからないけど、人間が飽きるっていうところが最先端にあるような気がしてるんだよね。今に飽きている感じというか。そこからモヤモヤっとしたものが空気を察知して、新しいものができるというか。それを感じるのがミュージシャンなのかもしれないし、デザイナーなのかもしれない。とにかくそのモヤモヤが一番前にあるような気がするけどね。

長谷川:なんかわかるような気がします。僕もいつもモヤモヤしていて。常に新しいものを求めているような感じはありますよね。

松任谷:結局、同じものを作り続けてると絶対飽きるから。ミュージシャンであれば次の音楽、新しい音をって思うわけで。スネアの音ひとつとってもそうだし、それがグルーヴだったりもする。そうやって新しいもの、新しいものっていう発想になるから、少し前にいるように感じるかもしれないね。新しいものを作るには、そのモヤモヤがいると思う。

長谷川:ご自分で過去に制作なさった音楽はどのように捉えてらっしゃるんですか?

松任谷:クソだね(笑)

長谷川:笑。でもみんなは、というか僕もそうですけど、過去の松任谷さんの音楽もやっぱりいい曲だなっていうことでよく聴くんですけど、ご自身ではあんまりそう思わないんですね。

松任谷:自分のはね。昔のこれがよかったな、って思ったら現役終わりだなって思っちゃう。過去のものが嫌いでいられるから、まだ作れるっていう感じがある。まぁ、思ってたより悪くないなっていうのはあるけどね(笑)。

長谷川:実際に聴かれることもあるんですか?

松任谷:自分から進んで針を落とすというか、そういうことは絶対ないね。誰かが聴いてて、それが耳に入ることはあるけど、聴きたいとは思わない。

フイナム:昔の洋服など、ものすごい量をお持ちだと思うんですけど、エッセイ(『おじさんはどう生きるか』)にも書かれていましたが、それは着られることもあるんですよね。

松任谷:それはやっぱり自分で作ったものじゃないからね。服を自分で作ってたら着ないと思う。

長谷川:でもなんかわかる気がします。僕も『ポパイ』のときにやったページを褒めてもらったりすることもあるんですけど、今を見て欲しいって思いますしね。

STAFF

Direction&Comment_Akio Hasegawa
Comment_Masataka Matsutoya
Photo_Seishi Shirakawa
Illustration_NAIJELGRAPH
Edit_Ryo Komuta,Shun Koda

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