PROFILE
文筆家。2015年、緻密なリサーチに基づき日本のメンズファッション史を分析した著作『Ametora: How Japan Saved American Style』を上梓。昨年には、“ロック・ジャーナリストの父”と言われる伝説的ライター、ニック・コーンの著作『Today, There are No Gentlemen』の日本版解説を手がけた。
ファッションディレクター、スタイリスト。英国の雑誌『モノクル(MONOCLE)』の創刊より制作に参画、ファッションページの基礎を構築した。2015年には同誌のファッションディレクターに就任。2012年から2018年秋まで雑誌『ポパイ』のファッションディレクターを務めた。
Chapter1
デーヴィッドさんと普通の服
長谷川:AH.Hでは普通をテーマにしているんですが、日本における普通の服は、アメカジがベースになっているような気がしていて。そこで、デーヴィッドさんに話を聞いてみたいと思いました。まずデーヴィッドさんの考える「普通の服」とはなんですか?
デーヴィッド:僕は南部の出身なんですが、80年代の南部はアイビーやプレッピーの文化がとても盛んでした。だから教会に行くときはプリーツの入ったチノパンと〈Polo Ralph Lauren〉のボタンダウン、それにコインローファーやボートシューズを履いていましたね。春になるとマドラスのネクタイを締めたり。この間、昔の写真を見ていたんですけど、本当にそういう格好でした(笑)。
長谷川:へー。
フイナム:ニューヨークなど都市部では、また別の「普通」があったんですかね?
デーヴィッド:当時ニューヨークはヤッピーが出てきて、プレッピーの影響が薄れつつありました。例えば、60年代のエリートたちはコインローファーを履いていましたが、80年代のヤッピーたちの間では、〈GUCCI〉のビットローファーが流行っていました。だからコインローファー=若い、というか学生っぽく見えたんですよね。ソフィスティケイトされていない感じで。
長谷川:なるほどね。
デーヴィッド:北部もプレッピーの影響が薄れていましたね。大学がボストンだったんですけど、そこでボタンダウンではないシャツを初めて見ました。カラーにボタンが付いていないシャツもあるんだ!?って(笑)。
フイナム:笑
デーヴィッド:南部ではチノパンにポロシャツが普通の格好でしたね。それはファッションとかスタイルとかじゃなくて、本当に普段着でした。普段着のいい方ですね。教会に行くとき用の。
長谷川:他の日はスニーカーにジーンズみたいな格好ですか?
デーヴィッド:僕ね、ジーパンはほとんど履いてなくて。なぜかというと、すごくガリガリだったんです。お兄ちゃんが501を持っていたんですけど、それを履くと脚がものすごく細く見えるから嫌で。だから、ほとんどチノパンですね。高校生の頃は、グランジとかインディーズの音楽が好きだったので、チノパンにダイナソーJr.のTシャツとか。
長谷川:チノパンがすごく活躍していたんですね。
デーヴィッド:そうそう。教会でも学校でもチノパンでした。カーキ色を2-3枚、オリーブ色を1-2枚、ネイビー1枚、パンツは以上、みたいな。
フイナム:なかでもお気に入りのチノパンはありましたか?
デーヴィッド:〈Duck Head〉というブランド分かります?
フイナム:いや、聞いたことないです。ちょっとググってみますね。
長谷川:あー、このロゴ見たことある気がします。
デーヴィッド:この〈Duck Head〉が、なぜか南部で流行っていて、オリーブのチノパンがすごく良かったです。
長谷川:www.duckhead.comというウェブサイトがありますね。まだブランドはあるんですね。
デーヴィッド:それと南部プレッピーのスタイルで、シアサッカースーツが有名な〈Haspel〉というブランドがあります。
長谷川:シアサッカーのスーツを初めて作ったブランド?
デーヴィッド:初めてではないのかもしれないけど、世に広めたブランドです。
フイナム:調べてみると、今でもシアサッカーを推しているみたいですね。
デーヴィッド:うん。父親の親戚が〈Haspel〉と関係があったので、シアサッカーのジャケットもいっぱい家にありました。僕の両親は洋服関係の仕事ではなかったのですが、2人ともどういう服がちゃんとしているか、よく分かっていましたね。
長谷川:身だしなみに気を使うご両親だったんですね。
デーヴィッド:はい。父親はいつもツイードのジャケットを着ていましたね。あと〈Brooks Brothers〉も沢山持っていました。僕も少し持っていたんですけど、ちょっと大人向けだったから、高校の頃は〈J Crew〉をよく買ってましたね。当時はお店がなかったので、メールオーダーです。結構安かったですよ。
フイナム:〈Polo Ralph Lauren〉は、どうなんでしょう? 高校生にはやや割高でしたか?
デーヴィッド:高かったんですけど、近くにアウトレットがありました。今はアウトレット向けに商品が作られていますよね。でも当時は売れていないものだけがある、本当のアウトレットだったんです。母親がそこに行って、ババッと買ってましたね。だから〈Polo Ralph Lauren〉は、アウトレットに流れたものばかり着ていました。
フイナム:どんなものが売っていたんでしょう。ちょっと行ってみたい気がします。
デーヴィッド:そういえば、3年前にマンモスレイクというカリフォルニアのリゾート地に〈Polo Ralph Lauren〉のアウトレットがありました。そこも売れていないものだけを集めたお店でしたね。10万円のジャケットが1万円だったり、2万円のポケットスクエア(注:ポケットチーフ)が1千円で売られていたので、ものすごく買い物をしました。
長谷川:やっぱり〈Polo Ralph Lauren〉は好きなんですね。
デーヴィッド:はい、好きですね。
フイナム:〈Polo Ralph Lauren〉って、アメトラやプレッピーの流れを汲んだスタイルに軸足を置く一方で、〈POLO SPORTS〉みたいなスポーツカテゴリーや、〈RRL〉みたいなヴィンテージライクなカテゴリーもあります。ああいうスタイルは、デーヴィッドさんの目にはどう映っていたんですか?
デーヴィッド:〈POLO SPORTS〉にも〈RRL〉にも興味はありませんでしたね。やっぱり〈Polo Ralph Lauren〉は、ポロシャツやボタンダウンなど定番が好きです。
フイナム:あくまでアメトラやプレッピーの範疇にある〈Polo Ralph Lauren〉が、好みなんですね。
デーヴィッド:でも70年代の〈Polo Ralph Lauren〉は、アイビーの亜流だとスノッブに思われていました。本格的なアイビーブランドだと〈BROOKS BROTHERS〉と〈J PRESS〉がありましたので。その後のプレッピーブームで〈Polo Ralph Lauren〉は人気になったんだと思います。
長谷川:あー、そういうことになるよね。だからこそプレッピーのときに〈Polo Ralph Lauren〉はカッコ良くなれたんでしょうね。アイビーの文脈の中に入っていたら、多分カッコ良く見えなかったということですよね。
デーヴィッド:60年代のアイビーは若さがあったんですけど、だんだんとおじさんっぽいスタイルになっていきましたからね。